自衛するということ

ずいぶん昔から、集団の中で仕事や活動をする際に心がけている事がある。
それは「他人に迷惑をかけられないようにする」という事。これは「他人に迷惑をかけないようにする」という献身的、道義的なものとは違い、本質的に甚だ利己的なものである。
しかしながら、それを意識する事により、概ね他人に迷惑をかけることもなくなる。言わば副産物的に関係性は円滑になる。しかしそこには一切の献身性はない。それは本質的に自分のためのものであり、それが自衛である。


「仕事をする」という事を「道を渡る」という事に置き換えて考えてみるとわかりやすい。
車がビュンビュン走ってる道を渡らなければならないとする。しかもタイミングを計る時間もないくらい急いで。これでは事故に合うか、運よく合わなくてもその恐怖を感じる事になる。
そもそもそんな道を、そんなタイミングで渡らなければならない事になっている事が問題なのだ。道を渡るのが自分の都合であるならば、やめればよい。しかし「他人の都合で道を渡らせられる場合」というのがある。
この様なケースをなるべく避けるのが自衛である。
これは責任を回避するという事とは異なる。無理な頼まれ事にチャレンジして、失敗して迷惑するのは自分だけではない。可能な限り渡りやすい場所、可能な限り渡りやすいタイミングを計れるように自分で仕事をコントロールできなくてはならない。
自分の手には負えない、と断るべきは、難しい仕事、面倒な仕事ではなく「自分でコントロールできそうにない仕事」である。
言うまでもなく、難しい仕事、面倒な仕事を引き受けない者に、集団にいる意味はない。


集団に属する者が全員自衛できていれば、他人からの迷惑でストレスを感じる事もなくなるんだけどな、と思う。

なんだか話が長くなった。(僕はいつでも喋りすぎる)