ノンバーバルパフォーマンスへの道2

ところで、僕は維新派が大好きなのですが、あれもノンバーバルパフォーマンスと言えるのかもしれない。松本雄吉さんから「ちがう!ヂャンヂャンオペラや!」と怒られそうですけど…。
ノンバーバル(=非言語)とは決して「無声」であることではないのです。僕がそう思ったのは、むかし維新派の「カンカラ」と「キートン」という作品を見たからです。

「カンカラ」は登場人物のほとんどが韓国語で話、リズムを刻むのだが、見ていると自分の中で「こうかな?」と絵画を見るのように好きにストーリーがイメージできる。その感覚が楽しかった。

キートン」は無声映画の巨匠、バスター・キートンをモチーフにした作品で、作中ほとんどが無声で構成されている。「無声の維新派!?」と思うが、独特のリズムは健在で、見ていて自分自身のイマジネーションが入り込む余地がたっぷりあった。

自身が見たものから触発されてイマジネートすることを楽しむ。ノンバーバルパフォーマンスというのは、そういうものではないのだろうか。

それがテレビや映画など具体的なストーリーを提供するジャンルとは違う、僕ら舞台芸術に携わるものが観客に提供できるものではないだろうか、と思っている。 

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